植田辰哉監督が、コートにうつぶせになって男泣き

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 バレーボール日本男子の植田辰哉監督が、コートにうつぶせになって男泣きした。16年ぶりの五輪出場を決めた瞬間だ。

 1972年のミュンヘン五輪で栄光に輝いた日本男子も、92年のバルセロナ五輪以降低迷が続いた。長く、つらいトンネルをようやく抜け出した。

 久しぶりに男女そろっての五輪出場である。先ごろの戦いぶりからすれば、北京五輪でのメダル獲得も夢ではない。

 五輪開幕まであと2カ月を切った。いろいろな競技で日本代表が決まっている。北京に向けて、勢いを加速してほしい。

 バレーの日本男子は最終予選で、息をつく暇もないようなシーソーゲームを展開した。強豪イタリアとの初戦は、先に王手をかけながら大逆転を許した。

 けれど、ここで折れなかったところにたくましさがある。2戦目から白星を重ね、アジア勢最上位を確定させている。格上にも力負けしなかったのは、厳しい練習に耐えた成果だろう。

 県勢2人の活躍が見逃せない。ともに岡谷工高から巣立った松本慶彦選手と越川優選手だ。要所でブロックやスパイクが光った。長野県内のファンも見守っている。技にさらに磨きをかけ、五輪を盛り上げてほしい。
周囲から何度も「変わったね!」と言われた (32歳女性、主婦)

 私は子供のころから、人の集まる場所が嫌いでした。特にみんなの注目を浴びるような場面は、ものすごく苦手で、いつも逃げていました。そんな場面では、いつも緊張してしまって心臓がドキドキするので、言いたいことの十分の一も言えないのです。そんな私ですから、学生時代もクラブ活動などには参加せず、親しい友人もいないまま学校と自宅を往復する単調な日々でした。社会人になってからも、会社と自宅の単調な往復。たまにパーティーの誘いがあっても、知らない人と話をするのが不安で、つい断ってしまうのです。ですから異性と出会う機会もなく、いつの間にか30代になっていました。

 でも本当の私は、そんな消極的な自分が大嫌いだったのです。本当は、もっともっと明るい性格に生まれ変わって、人生のいろんなチャンスにチャレンジしてみたいと思っていました。でも今の暗い性格ではとても無理。それを実行している積極的な人を、陰からそっと見ているだけ。私には永遠に実現しない夢だろうとあきらめていました。

 それが、もしかすると実現するかもしれない夢に変わったのは、高梁さんの本に出会ってからです。高梁さんの「悩みが消えて 人生が変わった!」という言葉に強く惹かれました。もしかすると、ここに私の人生を変えるチャンスがあるのかもしれないと思うと、じっとしていられない気持ちになり、すぐに高梁さんの本を手に入れて、一晩で一気に読みました。そのときの心の高まりは、生まれて初めてのものでした。それは「前向きに生きなさい」という精神論でもなく、「目標を持てば夢は実現する」というポジティブシンキングとも違います。そんな雲をつかむような話ではなく、人生を変えるための確実な道筋が詳しく説明してありました。

 今の私なら、本の中のアドバイスにしたがって、すぐに行動を起こしますが、そのときの私はまだすごく消極的でしたので、行動を起こすまで数週間かかりました。でも、このまま不満足な生き方で人生を終わるのは嫌だという気持ちが大きくなり、最後は勇気を奮い起こしてブレインタブレットを試しました。そして1か月過ぎるころから、確かに私は変わり始めました。私自身がそう感じるだけでなく、家族や周囲の人たちから、何度も「変わったね!」と言われました。人前に出るのが苦痛ではなくなってきたので、初対面の人と会う場所にも顔を出すようになり、そこで現在の主人とも知り合ったのです。今では可愛い子供も出来て、ご近所の奥さんたちとの集まりでは、リーダーになって活動しています。1年前の私からは想像もできません。



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このページは、 が2008年7月14日 20:37に書いたブログ記事です。

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