38歳の主将・荻野、勝利を呼び込む
バレーボールの全日本男子は7日、16年ぶりの五輪出場を決めた。勝利の瞬間、五輪を知る「最後の戦士」、主将の荻野正二(サントリー)に全選手が駆け寄った。男子バレーの栄華と挫折を知る38歳の目は、涙にあふれた。
1996(平成8)年のアトランタ五輪以降、3大会続けて五輪出場を逃した全日本男子。平成17年、再建を託された植田辰哉監督に、北京を目指すチームの主将として指名を受けた。
すでに35歳。バルセロナ五輪でともに戦った指揮官は「劣勢でくじけない姿勢は日本一」と精神的支柱の役割を求める一方、「選手として扱う。見本になってくれ」と注文を付けた。荻野の答えは「態度で示そう」。20代が大半の選手たちに混じり、坂道ダッシュなど過酷な練習メニューを黙々とこなした。
「『荻野は(別メニューで)いいよ』では、みんなもいい気はしないからね」
バレーボールの全日本男子は7日、16年ぶりの五輪出場を決めた。勝利の瞬間、五輪を知る「最後の戦士」、主将の荻野正二(サントリー)に全選手が駆け寄った。男子バレーの栄華と挫折を知る38歳の目は、涙にあふれた。
1996(平成8)年のアトランタ五輪以降、3大会続けて五輪出場を逃した全日本男子。平成17年、再建を託された植田辰哉監督に、北京を目指すチームの主将として指名を受けた。
すでに35歳。バルセロナ五輪でともに戦った指揮官は「劣勢でくじけない姿勢は日本一」と精神的支柱の役割を求める一方、「選手として扱う。見本になってくれ」と注文を付けた。荻野の答えは「態度で示そう」。20代が大半の選手たちに混じり、坂道ダッシュなど過酷な練習メニューを黙々とこなした。
「『荻野は(別メニューで)いいよ』では、みんなもいい気はしないからね」
ひたむきな姿勢は若手を大いに刺激した。「これだけやらないといけないというのを、背中で見せてくれる」と越川優(サントリー)。一方で「出れば100%人生が変わる」と説いて回り、五輪への高い意識をチームに植え付けた。
バレーを始めたのは高校時代。中学は野球部だったが、すでに190センチ超の長身に、地元の強豪校が目をつけた。バレー歴3年で入社したサントリーでは、大卒の選手たちに負けまいと練習に明け暮れ、2年目で日本リーグのサーブ賞、レシーブ賞を獲得。同じ年に初めて入った全日本にも毎年選ばれ、平成10年には主将も務めた。
同年の世界選手権後、両ひざを手術。引退も考えたが、「五輪にいけなくしたのはわれわれ。借りを返す」という信念を貫き、同期たちが去ってもコートに立ち続けた。今大会は相手のサーブに崩された韓国、豪州戦に“切り札”として登場。「長年サーブレシーブで生きてきた人間」を自認する通り、見事なキャッチで流れを引き戻した。
エース格の石島雄介(堺)も「荻野さんには勝利を呼び込む力がある。チームを奮い立たせてくれる」と脱帽する。
チームとしても自身としても、16年ぶりの大舞台に戻る。積年の思いを北京にぶつける。
バレーを始めたのは高校時代。中学は野球部だったが、すでに190センチ超の長身に、地元の強豪校が目をつけた。バレー歴3年で入社したサントリーでは、大卒の選手たちに負けまいと練習に明け暮れ、2年目で日本リーグのサーブ賞、レシーブ賞を獲得。同じ年に初めて入った全日本にも毎年選ばれ、平成10年には主将も務めた。
同年の世界選手権後、両ひざを手術。引退も考えたが、「五輪にいけなくしたのはわれわれ。借りを返す」という信念を貫き、同期たちが去ってもコートに立ち続けた。今大会は相手のサーブに崩された韓国、豪州戦に“切り札”として登場。「長年サーブレシーブで生きてきた人間」を自認する通り、見事なキャッチで流れを引き戻した。
エース格の石島雄介(堺)も「荻野さんには勝利を呼び込む力がある。チームを奮い立たせてくれる」と脱帽する。
チームとしても自身としても、16年ぶりの大舞台に戻る。積年の思いを北京にぶつける。
