すべての大会に出場してきたのは越川だけだ

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 2005年に正式に植田ジャパンが発足して以降、全日本が参加したすべての大会に出場してきたのは越川だけだ。05年のアジア選手権ではベストスコアラーを獲得。昨年の世界選手権ではサーブレシーブに安定感を欠き、わずかな出場にとどまったが、今年のワールドリーグ、アジア選手権では石島とのレフト対角で全試合に先発。ワールドリーグでは海外のトップスパイカーを抑え、予選ラウンドの得点王となった。

 その越川も、ワールドカップのメンバー入りを約束されているわけではない。福沢達哉(中央大)の加入により激しくなったレフトのポジション争いの渦中にいる。
 10月上旬に肉離れをおこし、今も左太ももにはテーピングを巻いており、まだ100パーセントのジャンプができない。軽やかに跳び上がる福沢を見れば、「自分も」と思うところだが、ワールドカップに合わせるため、今は我慢の日々だ。ジャンプがベストでない分、練習ゲームではレシーブやつなぎで存在感を示そうとしている。課題とされたサーブレシーブも、自分のポイントをつかみ、「大崩れすることはなくなった」と自信を得た。何より、これまで国際大会を重ねてきた経験がある。
「これから上げていきますよ。まだ2週間半ある。しっかり開幕に持っていける自信はあります」
 成功と挫折を味わった全日本でのこの3年間を、ワールドカップにぶつけるために、越川は黙々と準備を続ける。

 全日本男子の悲願である、五輪出場への第一歩となるワールドカップがまもなく開幕する。23歳の2人のエースの、真価が問われる大会でもある。
周囲から何度も「変わったね!」と言われた (32歳女性、主婦)

 私は子供のころから、人の集まる場所が嫌いでした。特にみんなの注目を浴びるような場面は、ものすごく苦手で、いつも逃げていました。そんな場面では、いつも緊張してしまって心臓がドキドキするので、言いたいことの十分の一も言えないのです。そんな私ですから、学生時代もクラブ活動などには参加せず、親しい友人もいないまま学校と自宅を往復する単調な日々でした。社会人になってからも、会社と自宅の単調な往復。たまにパーティーの誘いがあっても、知らない人と話をするのが不安で、つい断ってしまうのです。ですから異性と出会う機会もなく、いつの間にか30代になっていました。

 でも本当の私は、そんな消極的な自分が大嫌いだったのです。本当は、もっともっと明るい性格に生まれ変わって、人生のいろんなチャンスにチャレンジしてみたいと思っていました。でも今の暗い性格ではとても無理。それを実行している積極的な人を、陰からそっと見ているだけ。私には永遠に実現しない夢だろうとあきらめていました。

 それが、もしかすると実現するかもしれない夢に変わったのは、高梁さんの本に出会ってからです。高梁さんの「悩みが消えて 人生が変わった!」という言葉に強く惹かれました。もしかすると、ここに私の人生を変えるチャンスがあるのかもしれないと思うと、じっとしていられない気持ちになり、すぐに高梁さんの本を手に入れて、一晩で一気に読みました。そのときの心の高まりは、生まれて初めてのものでした。それは「前向きに生きなさい」という精神論でもなく、「目標を持てば夢は実現する」というポジティブシンキングとも違います。そんな雲をつかむような話ではなく、人生を変えるための確実な道筋が詳しく説明してありました。

 今の私なら、本の中のアドバイスにしたがって、すぐに行動を起こしますが、そのときの私はまだすごく消極的でしたので、行動を起こすまで数週間かかりました。でも、このまま不満足な生き方で人生を終わるのは嫌だという気持ちが大きくなり、最後は勇気を奮い起こしてブレインタブレットを試しました。そして1か月過ぎるころから、確かに私は変わり始めました。私自身がそう感じるだけでなく、家族や周囲の人たちから、何度も「変わったね!」と言われました。人前に出るのが苦痛ではなくなってきたので、初対面の人と会う場所にも顔を出すようになり、そこで現在の主人とも知り合ったのです。今では可愛い子供も出来て、ご近所の奥さんたちとの集まりでは、リーダーになって活動しています。1年前の私からは想像もできません。



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このページは、 が2008年6月14日 20:45に書いたブログ記事です。

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